金木犀が嫌いだ。病室の窓から見える金木犀は俺を嘲笑うかのようにゆらゆらと揺れている。
「喚起しましょうか」看護師さんが優しい笑顔でそういうと勢いよく窓を開けた。秋の寂しい風が病室の中に入ってくる、ふわっと金木犀の香りがした。
「何かあったら、気にせず呼んでくださいね」看護師はそういうと病室から出て行った。ベッドの横にある小さなテーブルには写真立てがひとつ置かれている。小さな額縁の中の笑顔を見ると心が痛くなる。僕の隣で笑顔を見せる美咲は出会った頃から体が弱かった。長くは生きられない、自らの口で涙を流しながら俺にそういった。案の定美咲の命は短かった。彼女は最後まで生きたいと自らの死を諦めなかった。太陽が低いところまで来て、オレンジ色に染まった病室の中で僕たちは2人きりだった。
「金木犀のいい香り、私この香りが好きなの、なんだか優しい気持ちになれる」美咲は掠れた声でゆっくりと言った。
「あぁ、僕も好きだ。美咲にとてもよく似合ってる」
「そう?嬉しいわ」美咲の目には涙が溜まっていた。僕はその姿を見ていられなかった。全く状況を受け入れられない、ここに寝ているのが僕なら良かったのに。
美咲は僕の手を握りながら
「長生きしてね」そう言って息を引き取った。彼女が好きな金木犀が花開く秋の日のことだった。彼女が最後に残した言葉、その言葉は僕の心に突き刺さり今でも消え去る事のない重りとして僕の中心にぶら下がっている。俺は彼女を忘れる事はできない、忘れたくないし、忘れてはいけない。出来る事なら俺が先に死にたかった。この世界全てが彼女との思い出であるれている、どこにだって彼女の面影を感じる。俺は彼女を笑顔で見送り、前を向けるほど強い人間ではない。僕は彼女を愛していた。
彼女がこの世を去るとともに、僕は彼女の病気を受け継いだ。両親は運命を嘆き恨んだ。僕は嬉しかった、やっと彼女のもとに行ける、もうこの胸の痛みから解放されると思うと、心が軽くなった。しかし、今僕の目の前には美咲が立っている。いや正確に言えば美咲ではないのかもしれない。彼女は僕に向かって、自らを死神だと名乗った。よくわからないが、暇つぶしに僕のところに来たそうだ。僕を殺しに来たのではないらしい。
彼女は美咲の顔をして僕に何でもない話を持ちかけた。別に面白い話ではなかったが、彼女は一生懸命話を途切らせないよう話し続けた。なんだか、本当に美咲と話しているような気持ちになる。でも本当の美咲ではないのだろう、その考えが頭に浮かぶ度に心が痛んだ。
「あなた香水付けているの?」
「いや、付けてないけど、外の金木犀じゃないか?」
「金木犀?」
「あぁ、知らないのか?」
「うん、知らない」
「そうか…」当たり前だ、彼女は死神なのだからわからなくて当然である、美咲では無いのだ。
「あなたはこの香り好きなの?」
「あぁ、好きだよ」彼女の前で嫌いだという事はできなかった。胸が痛む。
「そう、私もこの香り好き、なんだか優しい気持ちになれる」
「え…」
「ん?何かおかしいこと言った?」
「あ、いや」彼女の言葉はとても懐かしい言葉だった。なんだか目頭が熱く感じる。目の前がぼやけて、彼女の顔が見えなくなる。
「どうしちゃったのよ」彼女は驚いた顔をしてこちらを見つめている。
「いや、何でもない」
「そう、でもあなたと話していると落ち着くわね、私が人間の時はこんな感じだったのかしら」
「え、死神は元人間なのか?」
「私はね、人間だけじゃないわいろんな子がいるの、でも何も覚えてないの」
「そうか…」胸が痛む、もうこれは精神的なものではないのだろう、僕の心臓はだんだんとその役割を終えようとしているのがわかる。
「ねぇ、何か面白いお話してよ」
「なぁ」
「どうしたの?」
「僕を殺してくれ」
「どうして?」
「暇つぶしに来たなんて、嘘だろ?君に殺されるなら僕はそれでいい」
「あれ、バレちゃった?」彼女は驚いた様子で、こちらを見ている。
「ははっ」全く変わっていない、不器用だけど誰よりも人の幸せを願っている、誰よりも優しい人。そんなところが大好きだったんだ。彼女の手が僕の頬に触れ、優しく頭を撫でた。
「ありがとう美咲」僕はゆっくりと目を閉じる。窓から吹き込む風が心地いい。また会えたらいいな。金木犀の花びらが風に乗って、ひらひらと空を舞う。
「あぁ、いい香りだ。」
こんにちは、ちろです。
今日は金木犀をテーマにお話を書きました。
読んでいただけると嬉しいです。